2014年5月5日月曜日

マドンナ





私のことを愛していても嫌っていても、私はどちらも好きよ。

もし愛してくれるなら、私はいつでもあなたの心の中にいるし、

もし嫌われたとしても、あなたの記憶の中にずっと留まることになるから。

~マドンナ~

マドンナが自身のブログの中で語る歯に衣着せぬ発言はある種の爽快感さえ覚えます。個人的な思い、政治的な問題、人権問題、宗教問題まで、もちろん音楽に関すること等々。発せられる言葉はスキャンダラスでさえありますが、彼女はそんなことは気にしません。そこがマドンナの素晴らしいところ。30年間世界のトップを走り続けた彼女だから言えることです。今日の言葉がそれほどスキャンダラスというわけではありませんが、とても深い意味があると思います。 
私のことを嫌いだとわざわざ口に出して言うということは、あなたは私のことが気になって仕方がないということでしょ? と彼女は言っているのです。 マドンナらしいじゃありませんか。
逆の立場から考えてみましょう。
たとえば浮気が原因で別れた彼のことが憎らしくて憎らしくて仕方がない、一生赦してやらないと心に誓っているあなたがいます。歯ぎしりするあなたを見て彼は、君はまだ僕のことを気にしているんだね、とサラリと言ってのけているのです。
あなたはそれを聞いて、一生恨んでやる、と喚き散らします。藁人形に釘でも打ち付けそうな勢いです。もし本当にその人を呪ったとしたらどうなるでしょう。彼は不幸な人生を送ることになるでしょうか?
いいえ、そうはなりません。得てして悪い奴ほど幸せな出会いが待っていたりするものです、残念ながら。
では、よしんば彼が不幸な人生を送ったとして、あなたは幸せになれるでしょうか?
いいえ、やはり残念ながらあなたは不幸なままです。
つまり、あなたは彼を恨むことによって、赦さないと誓うことによって、過去の不幸の奴隷になってしまっているです。その思いが強ければ強いほど彼のことを断ち切ることができないのです。それではいつまでたっても新しい人生の第一歩を踏み出すことはできません。
ではどうすればいいでしょうか?
答えは簡単です。赦すことです。忘れてしまうことです。
責めるなら彼ではなく、浮気をするようなくだらない男に熱を上げてたなんて情けない、と自分を責めればいいのです。彼はあなたにとって重要な存在ではなかったのですから、いい経験させてもらったわ、と忘れることです。


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